この「らしさ」問題なんだけど、
w-inds.やAAAが変わってきたことを感じて、それで考え始めたところでもあるんだけど、
実は、最初のきっかけになったのはBUMP OF CHICKENなんだよね。
彼らは、最新のアルバム「COSMONAUT」を昨年12月に出したんだけど、
それに対する、あるコメントを見て、そういうことを考え始めたのです。
で、なんて書いてあったかというと、
誰かのブログかなんかのコメントだったと思うんだけど、
次のようなものでした。
昔は自分のことを歌っていたからよかったけど、
今は説教しているようだからいやだ。
何度も書いていますが、BUMP OF CHICKENについては、
メロディーがもちろん好きではありますが、
歌詞に興味を持ってより深く聞き始めたということもあって、
彼らの音楽性=歌詞の音楽性ととらえているのです。
で、歌詞はメロディーよりもずいぶんと変わりやすそうで、
若いときの詞と今の詞ではずいぶんと変わってくるでしょうね。
たしかに、かつての藤君の歌詞というのは、
自分たちのことを言っていたといわれればそうだよね。
前に書いたことがあるかもしれませんが、
「グロリアスレボリューション」の「実は飛べるんだ…」のくだりからの、
「Stage of the ground」の「飛ぼうとしたって飛べないって…」のくだりにいたる話とか、
「バトルクライ」の「大言壮語もはいてやろう…」のくだりからの、
「リリィ」の「大言壮語も吐いてやろう、そういう歌も唄った…」のくだりにいたる話とか、
どちらも自分自身のこと。
でも、最近は、
「生まれたらどうか生き抜いて」だとか、
「終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる」だとか、
これは自分自身に言っていることなんでしょうかね。
だからということもあってか、
かつての歌の歌詞は、聴いててけっこう理解しやすかったし、
すぐに中に入ってくる感じがあったんだけど、
最近のものはちょっとわかりにくくて、何回か聴くとようやくわかる感じ。
まあ、若いときには単純だったけど、
だんだんと複雑になってきた、いろいろ考えるようになってきた、
そういった、まさに「成長」が見られるということかもしれませんが。
まあでも、ラジオを聞いていると、相変わらず彼らはまだまだ「子供」で、
そういうものがあり続けるかぎり、
彼らの音楽もいつまでも聴き続けたいと思うんだろうなーと思っているのでした。
以上、知ったようなことを書きました。