
今日は朝から雨が降っていたので、花粉も飛ばないし出かけようかなって。
と思っていたのですが、けっこうな雨になるという予報だったのでやめておきました。
当初は風も強まるという予報だったので、交通機関の混乱に巻き込まれても嫌だしって。
実際にはそこまでだったみたいですけどね。まあ、まだ時間はあるので。
さて、ちょっと前から出てきた話題に「マルハラ」ってのがありますよね。
LINEの文章の文末に句点(。)がついているのが威圧的で圧迫感があって、
若い人がそれを見ると委縮してしまうという話です。
自分は若くないので、そんな話を聞いてもなんのこっちゃって感じで、
マルがついているだけで威圧感があるなんてとても信じられません。
LINEでやり取りをすることはあまりないんですけど、
過去のものとか、いくつか見てみたら、たしかにマルがついていない人がいますね。
その代わりに絵文字になっていて、それがやわらかい印象を与えるってことなんでしょうね。
マルをつけないと文章の切れ目がわかりにくくなるじゃん、って思っちゃうんだけど、
適宜改行することで回避しているようでした。なるほどなー。
そんなことを言っている時点でオジサン確定なんですけど、
でも、やっぱりマルがついている文章を威圧的とは感じないわけで、何なんだろうかと。
と思っていたところ、X(旧Twitter)でのポスト(投稿)だったかで、
それについてのコメントを見つけて、それを見てなんともしっくり来てしまいました。
そこには、別にマルがついているかどうかというのは関係なくて、
普段から威圧的な人が書いているからそう感じているのだろうという内容で。
普段からコミュニケーションがうまく取れていなくて、関係性が築けていないから、
マルがついている程度で威圧感を感じると。普段の会話でも感じているのであろうと。
なるほど、若い人からしたら、文末のマルを見るだけで、
普段から浴びせられている冷たい感じの物言いを想起してしまうということなんでしょうね。
そしてさらに、そのX(旧Twitter)での投稿は続いていて、
その人がそんな威圧的だということを、マルが原因であるという言い訳といいますか、
そちらに転嫁しなければならない状況もどうにかしなければいけないんじゃないかって。
お互いにコミュニケーションを取っていい関係にしないとダメだよねってことですね。
マルのせいにして逃げてしまう若者側もどうなのかって話になっていました。
実際のところはどうなのかはわかりませんが、このコメントが自分にはしっくり来て、
なので、別にマルつけててもいいじゃんっていう結論に至った次第です。
やっぱ、マルをつけないと気持ち悪いというかね。どうしてもつけちゃいます。
そうやって柔軟な対応ができないところがオジサンなんでしょうけどねー。
2004年からブログを書いています。思ったことを気ままに書いていますが、旅に出るとその記事で埋まっていきます。旅行は日本国内が中心で、2022年6月に旅をした和歌山県をもって、47都道府県すべてを訪れたことになりました。好きなアーティストのライブにもちょいちょい行っています。
文系学部卒だけど理系脳なのか?という感じ。
このブログではできる限り政治に関する発言は控えようと思っていますがたまに漏れ出します。その辺のことはX(旧twitter)でがっつりつぶやいてます。