さっきまで「ラスト・サムライ」を見ていました。

最近、映画を見るようになりました。

それだけ余裕があるというか、
いろいろなものに目を向けられるようになったのではないかと思っています。

といっても、まだまだだなーと。

学校では生徒がいろんなことを聞いてきます。
そのなかに「愛とは何ですか」という質問がありました。

これをそのクラスを担当している先生全員に聞いているようでした。

いつもなら、そういったものに対して無視を決め込んだりするんだけど、
いろいろ思うところもあったので答えてみました。

俺に唯一欠けているもの

前から気にしていたことがありました。
僕は「愛」という字がうまく書けないということを。

でも、最近ようやく書けるようになってきたかなーと思っているんです。

自分には人間の心がないと思っていました。
瞬間の感情はあるけど、感動がないと。

人前で泣くようになったのは21くらいになってからかなー。
映画でもようやく泣けるようになってきた。

なんか変な表現かもしれないけど、
自分がだんだん人間に近づいている感じがするんですよ。

昔から「落ち着いている」とか「冷静だ」とか「視野が広い」だとか、
大人であるかのような扱いを受けてきて、
まあ、そんなもんなんだろうと思っていたわけだけど、
つまり、心がないからそうだったわけですよね。

恋愛なんてのもそうで、
恋していればなんか気分が乗っていて、失恋のあとは情緒不安定になる。

そんなこともなければ、そりゃ常に冷静ですわなー。

心が強いんじゃない。
心を動かさなかっただけ。

思ったことをつらつらと書きましたが、そういうことなんです。
これらはちょっと前から思ってたこと。

恋愛映画とかも見なきゃなー、なんて思ったりも。
でも、わざとらしいのはやっぱ嫌だけど。

ということで、これが500記事目なのでした。

明日からテストが始まります。
採点祭りですね。がんばっていきましょー。

” に3件のコメントがあります

  1. お2人ともどうもです。
    同じようなことを感じている人がいるということで、なんか気が軽くなりました。
    恋ってのも重要なものだと思っていて、
    恋ばかりは空虚であんまよくないとおもうけど、
    恋をしないのも空虚だなーと。
    ちょっとずつ成長できればいいね。

  2. 私もケインさんの記事を読んで、じーんとしてしまいました。
    私なんかがコメントを書くのもおこがましいですが、ちょっとだけ。
    私はどちらかというと、いつも笑ってるねって言われるタイプの人間で、人目には明るく見られるし、感情もそれなりに表には出すほうでした。でも自分の中ではずっと何かが欠けているような気がしてて。
    それは、物事に感動する心。
    周りのみんなと同じところで感動する必要はないけれど、私は涙が出るくらい心が揺さぶられることはめったにないし、自分にはどこか感受性のスイッチみたいなものが欠けてるんだとずっと思っていました。
    自分に自信がなくて、人に意見を聞くことで、自分の感情が作られてるんだって思い込んでいたけど、最近はようやく自分の感情を一番に優先してあげられるようになりました。
    そうしてるうちに、少しずつ自分の感受性も取り戻してきたような気がします。これまできっとどこか心の奥にしまいこんでたのかもしれない。
    何だかどうしようもない話になってしまいましたが、ケインさんの記事を読んで、実は心がすごく揺さぶられたので、コメントを書かせていだだきました。
    長々と失礼いたしました。
    でもまた是非拝見させてくださいね☆

  3. 自分自身と向き合うっていうのは大切ですよね!
    私も今この記事を読んで少し感動しました。苦笑…
    テスト採点頑張って下さい!!

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