善は満ちるのか

日曜日に体を十分に動かしたので、順調に筋肉痛が起こってます。

まあ、次の日に出たってのがせめてもの救いですかね。
まだまだ若いってことにしといてください。

さて、土曜日の話

アースデイ東京2008」に行ってきたわけですが、
2時からいとうせいこう氏がステージに立つというので、
いったい何を話すのかと見に行きました。

前日の夜には、テレビ朝日の「虎ノ門」に出演していたので、
ずいぶんと激務だなーと思ってみたり。

で、内容は、
「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリーリーディング」でした。

ちょっと予想と違ったので、少しびっくりしたんだけど、
でも、力強い主張を聞くことができてよかったですね。

無抵抗の者を威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは他者の破壊である
話し合うことが唯一、他者と他者をつなぐ道であり、
よって、話し合いを拒ばずに対話せよ
われわれもまた他者であるのだ

ちょっと要約しましたが、
倫理でも「他者の理解」「他者の尊重」というテーマの単元があるんだけど、
やっぱり、他者をいかに理解し尊重するのかが、
よりよい社会を形成していく上で重要なわけですよね。

アリストテレスは「人間は社会的動物である」といいました。
和辻哲郎は「人間は間柄的存在である」といいました。

人は他者との関係の中で生きているわけだから、
その他者を理解できないということは、自分を理解できないことにつながり、
社会はおろか自分自身の存在についても危ぶまれることになる。

もう1つ気になった言葉がありました。
これはそのまま掲載。

悪の衝動があるのなら、善の衝動もあるのではないか
悪がこの世を覆うならば、善もこの世に充ち満ちるべきではないか

何が悪で、何が善なのかを定義することは難しいので、
自分たちを善だというわけではないのだけれども、
この考え方はとても重要なんじゃないかなーって。

何が善であるのかを常に検討しながら、
あきらめずに闘っていくことが必要なわけですよね。

それが他者の理解にもつながっていくんじゃないかと。

「恥を知れ!」と思うようなことがいろいろありますね。
今日も1つの判決が出て、そんなことを思うところがありました。

当日の朗読文については、
いとうせいこう氏のサイトに掲載されているのでよければご覧ください。

そろそろ長野に聖火がやってくるんだけど、果たしてどうなりますかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です