ひさびさに大学へ

昨日のことですが、久しぶりに母校の大学に行ってきました。
といっても、ずいぶんとうちから近いんですけどね。

で、何でかというと、お世話になった先生の最終講義があったからです。

自分の大学院時代の指導教授は、ちょうど2年前に引退されたわけですが、
最終講義を聞くのはそれ以来ということになります。

今回の先生は、大学院の1年(M1)のときに授業を履修した先生で、
修士論文の副査もしていただいた方なのです。

副査というのは、修士論文は書くだけではダメで、
提出したあとに口述試験、つまり面接試験のようなものがあるのです。

そこで論文の内容についていろいろと質問されて、
それにきちんと答えられれば、晴れて修士号を得られるということになっています。

で、その審査官が3人いて、指導教授が主査ということなんだけど、
あとの2人が副査で、そのうちの1人が今回の先生でした。

まあ、それだけのつきあいという話もあるかもしれませんが、
この教授のもとで現在研究を行っている院生が友人でして、
その関係もあって、今回は最終講義に行かせていただいたのでした。

うれしかったのは、ちゃんと顔を覚えていてくれたことかな。
もう、卒業して8年は経っているのにね。

まあ、受けていた授業が俺ともう1人だけだったというのが大きいのかも。

で、最終講義の内容は、うちの指導教授が懇親会の挨拶で言っていたように、
なかなか理解が難しい内容ではあったんだけど、
でも、なるほどと思わされた内容がいくつかありました。

中でも興味深かったのは『情報喪失の時代』の話でしょうか。

現在の社会は情報化が進む中で「情報洪水」と呼ばれるような状況になっていて、
あたかもそれが「豊かな社会」の1つの表われであるかのように捉えられているけど、
その大量の情報の中にわれわれが必要としている情報が含まれているのか。

むしろ、大量の情報に囲まれている環境は、
人々から、何が重要な情報なのかを感じ取る能力を奪い取っているのではないか。

まあ、そんな話だったと思うんだけど、
アメリカでマッキンベンという人が、自然の中で1日過ごすことで、
天候の変化や鳥の声や、周囲の情報を肌身で感じる経験を通して、
これらのことを考えたというのが『情報喪失の時代』という本に書いてあると。

なかなかこれは読んでみたくなりました。
でも、すでに絶版だそうで、図書館にはあるみたいなので借りてこようかな。

ちょうどちょっと前に、友人が家からテレビをなくして、
それもなかなか良い、だなんて言っていたのを思い出しました。

まあたしかに、旅行に行った時なんかは旅先でPCいじることもないし、
ブログを更新する以外は携帯でネット見たりとかしないし。

それでも、なんら不都合を感じないよね。
むしろ、現地で収集する情報の方が役に立ったりするわけで。

まさに「メディア・リテラシー」は、メディアを使いこなす能力であり、
自分にとって必要な情報を取捨選択できる能力なわけですが、
情報があふれているからこそ、この能力がそがれていくとしたら、
では「リテラシー」という概念にはどういう意味があるのか、と思ってしまいます。

さて、難しい話はこのくらいにして、
最終講義ってのは日中にやっているものだから、
卒業生ってのはほとんどいないんだよね。

お世話になった先生はあと2名ほどいるんだけど、
どちらもまだお若いので、次の最終講義は20年くらい後ですかね。

やっぱり90分の授業を受けるのはちょっとつらいですね…。