(無題)

私の家には毎日新聞が届けられる。

ん? 届けられるのは「毎日新聞」ではない。
毎日、新聞が届けられる。

人は間違いをおかすものだ。
自分も間違ったことを教えてしまっていたこともある。

しかし、それとこれとはずいぶんとレベルが違うのではないか。
組織として、何度もチェックを受けて記事というのは作られるのではないのか。

速報性を重んじるのはわかるが、それはテレビの方がはるかに高いだろう。
締め切りがあるのはわかるが、だからといって不確実な情報を流していいのか。

ちょうどノーベル賞で話題に上ったところだった。
だから、その勢いに乗ってしまおうということだったのだろうか。

単なるノリで物事が決められていくとなれば、いったい何なのか。
大衆紙どころではなく、大衆迎合紙だ。

ある売れないグラビアアイドルが、
有名俳優と付き合っていると告白し、スポーツ新聞の一面を飾った。

それと大差ないこと。

真実ではなく話題性の高いものを報道しようとするなら、
もともと持っている報道の姿勢もそういう形で作られているのか、
保守色の強い思想をもっているのそういうことなのか。

つまり、本当にそういう信条があるからではなく、
そうした方が売れるから、支持されるから、だからそういう路線で記事を書く。

そう思われても仕方ない。
記事の内容が虚偽ということだけでなく、姿勢そのものが偽物ということだ。

優勝祝賀会なんかやってる場合なのかよ、と思う。


こういうことを書くと、
そもそもそんなもんなんだから期待していた方がおかしい、
などという人が出てくる。

ならば、どういう点が「そんなもん」なのか言ってみてもらいたい。

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