成田空港建設の歴史を知る

気づけばもう1月も終わるのですね。いろいろ近づいているなー。

さて、成人の日に成田へと行ってきたのですが、成田山に続いて航空科学博物館へ。
その博物館の近くに、もう1つ違った資料館があるのを見つけました。

行く前に地図を眺めていたら見つけたんですけど、「空と大地の歴史館」というところ。
どんなところかと調べてみたら、成田空港建設とその反対運動についての資料館でした。

成田空港の建設に反対する「成田闘争」は言葉くらいは聞いたことがあるわけで、
一坪地主など、徹底的に反対していたというようなことも知ってはいましたが、
詳しく知ることができるということで、航空科学博物館よりもこちらの方が興味がありました。

航空博物館から歩いてすぐのところにあって、航空博物館の入り口に案内も出てるんだけど、
訪れる人の数はまばらで、それも仕方ないのでしょうが、一度は行くべきなんじゃないですかね。

こちらは入場無料です。入るとヘルメットと角棒も見えてきます。

航空写真があって、空港ができる前のものですね。
白い線の中にあるほとんどの家と畑といろいろなものがなくなったわけですね。

とはいえ、過激化した反対運動はちょっとどうなのかと思う程度までになっていて、
機動隊の方が亡くなっていたり、管制塔が占拠されていたり、ひどかったですね。

国の譲歩もあって、反対派の運動の多くは終わったということでした。
1994年に「成田空港地域共生委員会」の設置を決定したとのこと。

成田空港といえば、かつては検問がありましたよね。2015年に廃止されましたが。
この検問は成田闘争が関係していることを、自分は廃止された後に知りました。

空港といえば羽田か成田しか知らないわけで、羽田では検問はありません。
なので、国際空港だから検問があるのだ、と勝手に思っていたのです。
見送りに車で行った時にはトランクの中まで確認されましたものね。

今でも検問ゲートは残されたままで、その名残を各所で見ることができます。
2015年に廃止されたのも、監視カメラなど代替手段ができたからのようですね。

というのも、検問が廃止されて反対運動はほぼ終わったものだと思っていたのですが、
今でも空港の敷地内に民家があるし、畑もあるし、まだくすぶってはいるのでしょう。

空港の周りを移動している間も、警戒している車両を何度も見かけました。
すっかり終わったと思っていたらそんなこともなかったと。
帰ってきていろいろ調べたら、ペンションのようなものもあって、イベントをしていると。

その動画を見て興味深かったので、反対派に対する批判もあるようなんですけど、
もともといた人からすると、子どものころからの景色が残る唯一の場所、なんだそうで、
現状において空港の運用に大きな影響はないならば、残っていてもいいのではないかと。

なかなかそのあたりは難しいですね。

最後に、現在の航空写真があって、黄色い線で囲まれているのがその敷地です。
右上にそのエリアが広がっていますが、新しい滑走路を建設予定なんだそうです。

近くに資料館の方がいたのでいろいろ話を聞かせてもらいました。
で、その新しいエリアの住民はいつから住んでいるのか聞いたところ、いい質問ですねって。

というのも、そのエリアには空港建設時に移転してきた人たちがまあまあいるんだそうです。
ということは、2度めの移転になるということですよね。もう慣れたものなのでしょうか。
それとも、1度ならずも2度ですか、と抵抗することになるのでしょうか。

完成予定は2029年だそうです。進行状況については情報が入ってこないとおっしゃってました。

新しい滑走路ができるとかなり便利になるようですが、すんなり進むんでしょうかね。
そのあたりも含めて、ぜひとも訪れていただければ。ちょっと遠いんですけど。

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