なぜ生まれてきたのか
- 2006.06.08
- 日記
昨日と今日で書きたいことがいっぱいできてしまいました。
そのなかで、
一番ぐっときたことを書きたいと思います。
今のうちに書いておかないと忘れちゃいそうだしね。^^
それは何かというと、
「人はなぜ生まれてきたのか」ということなんです。
かなり難しいテーマですが、
先ほどある番組で江守徹がこんな質問をしていました。
相手は瀬戸内寂聴さんです。
彼女は次のように答えます。
というか、次のような趣旨と俺は理解しました。
今生きているということは、
何かはわからないけど、誰かのためになるために生まれてきたんだと。
ある特定のものがあるわけではなく、
社会にいろいろな意味で役に立つと考えればよいのだと。
たとえば、家で家事をしている奥さんも、
彼女がいるからだんなは働けるわけだし、子供も学校に行ける。
その存在自体が重要なわけですね。
そのあと、江守徹も言います。
何のために生まれてきたのかを考えるのが一生なのではないか、と。
つまり、
何か目的があって生まれてきたわけではないわけですよ。
生まれてきたことが、その目的を達成するための手段なのではない。
生まれてきたことで何らかのためになるわけですから、
つまり、生まれてくること自体が目的なんですよ。
なんかを目的として生まれてきたと思ってしまうから、
自分の望みがかなわなかったり、やりたいことが見つからなかったり、
そんな状況に対して絶望をしてしまうわけですよ。
それこそ、自分は何のために生まれてきたのかって。
でも、生まれてくること自体が目的なんだから、
その中で苦しみながらも、生きる意味を見つけていこうとすることこそ、
その人がすべきことなんですよね。
社会に存在している時点で何らかの意味を持っているんだから、
自分の存在に意味性を持たせなくてもいいんですよ。
そもそも意味があるんですよ。
そう思ってもらえれば、
ニートだとかは生まれないはずなんだけどなー。
一方、自分がやりたいことができているという充実した人は、
ある程度正解が見つかったのかもしれないけど、
でも、本当にそれが正解なのか、よりよい正解があるのではないか、
やはり問い直し続けなければいけないんじゃないかと。
そんなことをたまねぎをみじん切りにしながら考えちゃいました。
実は、カントもそんなこといってるんですよね。
自分や他人を自分の生きる手段として使ってはならない。
常に目的として扱いなさい。
ちょっとニュアンスは変わりますがね。
瀬戸内さんの言葉はかなりぐっときました。
深いなー。
そんなこと考えるの好きです。
倫理も教えてますしね。