
昨日と今日で書きたいことがいっぱいできてしまいました。
そのなかで、
一番ぐっときたことを書きたいと思います。
今のうちに書いておかないと忘れちゃいそうだしね。^^
それは何かというと、
「人はなぜ生まれてきたのか」ということなんです。
かなり難しいテーマですが、
先ほどある番組で江守徹がこんな質問をしていました。
相手は瀬戸内寂聴さんです。
彼女は次のように答えます。
というか、次のような趣旨と俺は理解しました。
今生きているということは、
何かはわからないけど、誰かのためになるために生まれてきたんだと。
ある特定のものがあるわけではなく、
社会にいろいろな意味で役に立つと考えればよいのだと。
たとえば、家で家事をしている奥さんも、
彼女がいるからだんなは働けるわけだし、子供も学校に行ける。
その存在自体が重要なわけですね。
そのあと、江守徹も言います。
何のために生まれてきたのかを考えるのが一生なのではないか、と。
つまり、
何か目的があって生まれてきたわけではないわけですよ。
生まれてきたことが、その目的を達成するための手段なのではない。
生まれてきたことで何らかのためになるわけですから、
つまり、生まれてくること自体が目的なんですよ。
なんかを目的として生まれてきたと思ってしまうから、
自分の望みがかなわなかったり、やりたいことが見つからなかったり、
そんな状況に対して絶望をしてしまうわけですよ。
それこそ、自分は何のために生まれてきたのかって。
でも、生まれてくること自体が目的なんだから、
その中で苦しみながらも、生きる意味を見つけていこうとすることこそ、
その人がすべきことなんですよね。
社会に存在している時点で何らかの意味を持っているんだから、
自分の存在に意味性を持たせなくてもいいんですよ。
そもそも意味があるんですよ。
そう思ってもらえれば、
ニートだとかは生まれないはずなんだけどなー。
一方、自分がやりたいことができているという充実した人は、
ある程度正解が見つかったのかもしれないけど、
でも、本当にそれが正解なのか、よりよい正解があるのではないか、
やはり問い直し続けなければいけないんじゃないかと。
そんなことをたまねぎをみじん切りにしながら考えちゃいました。
実は、カントもそんなこといってるんですよね。
自分や他人を自分の生きる手段として使ってはならない。
常に目的として扱いなさい。
ちょっとニュアンスは変わりますがね。
瀬戸内さんの言葉はかなりぐっときました。
深いなー。
そんなこと考えるの好きです。
倫理も教えてますしね。
2004年からブログを書いています。思ったことを気ままに書いていますが、旅に出るとその記事で埋まっていきます。旅行は日本国内が中心で、2022年6月に旅をした和歌山県をもって、47都道府県すべてを訪れたことになりました。好きなアーティストのライブにもちょいちょい行っています。
文系学部卒だけど理系脳なのか?という感じ。
このブログではできる限り政治に関する発言は控えようと思っていますがたまに漏れ出します。その辺のことはX(旧twitter)でがっつりつぶやいてます。
どうもありがとう。
そっか。
「社会の穴をうめる」というのは面白い表現だね。
自分で穴を掘るんじゃないんだよね。
開いている場所を埋めるんだね。
なるほどなー。
私もそう思います。「個性の時代」って言われて、私も大学時代とかそうでしたが、無理に自分の存在の意味を見つけようとしていました。「自分の存在意義」っていうものに当てはまってないといけないんだ、って。錯覚ですね。いまは自分がここにこうしていることが幸せなんだと感じれるようになりました。若いうちはすぐに答えが出ないと焦って嫌なんですよね~。
養老孟子が「自分の個性を生かして仕事に、と言う考え方は間違っている。社会の穴をうめろ」って本の中で言っていてすごくドキっとしました。