基本動作という慣れ

今日の夕食はコンビニのお弁当。

といっても、まだ一人暮らしをはじめたわけではありませんよ。
両親が旅行に行ってた関係で、自分でどうにかしなくてはいけなかったんです。

でも、こんなことが毎日になるわけで、
それはそれでさびしいなー、と思ったのでした。

そうやって、両親をはじめとする他人の存在を再認識し、
そして、反対に自分を再認識できればと思っています。

で、今日はそんな話ではなくて、
俺は割りばしを使うのが好きじゃないんです。

だから、学校にも「MYはし」を持っていってるんだけど、
別に「環境に配慮してます!」ってことでは当然ありません。

だって、別に割りばしをいくら使おうとも、環境には関係ないもんね。
あれって、間伐材とかで作ってるんでしょ。
(ってことなんだけど、話はかなり複雑らしい…)

だから、割りばし使わなくなると、割りばし業者は困るし、
大きな木ができなくなってしまうんで大変なんだって。
(でも、その大きな木を切り取るから割りばしができるといってもいいんだよね…)

さらに、割りばしって袋に入ってることが多いけど、
この割りばしを袋に入れる作業ってのを障害を持った人がやっていることが多いらしく、
割りばしを使わないってことは、彼らから仕事を奪うことにもつながるって、
そんな話も聞いたことがあります。

で、ずいぶん脱線しましたが、
割りばしがいやなのは、カドがあるから。

持ってて痛かったりするし、ささくれ立ったりしたら最悪。
ってことで、塗りばし使ってます。

さて、ようやく本題なんだけど、
(今日は長くなってますねー)
レジの人が「おはしは入れますか?」と聞いてきたので、
俺は「いえ、いりません」と答えたんです。

なのに、サラダの入った袋にはしっかりとはしが…。

さらに、
あたためてもらったお弁当の袋の中にまではしが…。

ということで、結局2膳もいただいてしまいました

つまり、
はしが必要かと客に聞くというのはマニュアルどおり、
袋にはしを入れるのはいつものこと、
そうやって、毎回繰り返していることを何気なくやってしまった、
そういうことなのでしょうね。

このパターンに客の答えは基本的に関係ないわけで、
だから、スプーンを入れてくれと頼んでも入れてくれないことが多いんでしょうね。

こういう基本動作は重要かもしれないけど、
それが「慣れ」として動き出すと恐ろしいですね。

われわれも、毎日何気なく繰り返していることがあるかもしれません。
特にサービス業のわれわれにとっては重大なんじゃないかな。

そんなことをふと思ったのでした。

2005/3/7

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