「おいしいコーヒーの真実」

ということで、「アップリンク・クラウド」を使って、
今回は「おいしいコーヒーの真実」という映画を見ました。

この映画は2006年のもので、当時は見に行くことができなかったんですよね。

エチオピアのコーヒー農家を中心とした話で、貧困に苦しんでいると。
そこで、フェアトレードを行って搾取をやめるべきだという話なんですね。

ドキュメンタリー的には単純な話に見えるので、
この手の映画としては初級編のような感じを受けました。

あれを見れば、なんてひどいんだ!と思うのは当然で、
発展途上国について意識するようになるでしょう。

現地では10円程度で飲めるコーヒーも先進国に行けば25倍もの値段になって、
でも、農家たちが受け取る報酬というのは微々たるものであると。

中間業者が入ってしまうこともそうだけど、
大きな市場では先物取引が行われていて、その価格が影響をしてくると。

本来であれば、価格を安定させてリスクを回避するのがその目的なんでしょうが、
農家のコストに関係なく、先物取引の価格が先に決まってしまうので、
最悪、赤字になってしまう価格で買いたたかれることになるわけですね。

売り手の独占ではなく買い手の独占のような構造になっていて、
買ってもらえないことには困るので、安値でも売るしかないと。

その辺は、漁業なんかでもそうですよね。
値段がセリで決まるから、自分たちに価格の決定権がないわけで。

そこで、先進国の業者は農家のことも考えずに買いたたくので、
そこで、現地の農協のような団体が積極的にかかわって、
フェアトレードを推進していっているという話でした。

ただ、かつてはコーヒーの価格は安定していたそうで、
それは、国際的な協定によって需給が調整されていたからだと。

さらに、農家のある人が話していたのは、
自分が国からもらった土地はコーヒーしか育たないから…、という話。

ん? 国から割り当てられたってどういうことよ。

さらに、その土地ではコーヒーか現地では合法の薬物しか育たないから、
そんなのを育てるのは嫌だけど、それを作って売っているんだと。

んー、結局はみんなそういうことじゃないですかね。

誰だって、好き好んで格差を生み出しているわけではないですよね。
(中には、悪いことしか考えられない人もいるかもしれないけど)

でも、そうは言いながらも、道義的にどうなのかということをやっている。
そうだとすれば、じゃあ、その農家さんだって先進国の人間と同じじゃんって。

コーヒーの価格が適正ではないと言うんだけど、適正価格とは?とも思うわけで、
結局は、誰しもが自分勝手なことを言っているだけのように見えてしまうわけです。

もちろんそれは、お前が貧困なところにいないからだろって、
そう言われたらその通りかもしれないけど、
農家の子供たちのうちの1人が、もう自分は農家はやらないと、
自分は勉強して他の職業に就くって、そういう話が出てきて、
そうやって、いろいろ考えていくことも必要なわけですよね。

昔ながらの暮らしを基本としつつも、新しい生活にも憧れてしまえば、
そこにズレが出てきてしまうのはしょうがないことかと。

新しい生活にあこがれるなら、新しい生き方に変えていかなきゃいけなくて、
今までの古いやり方で新しい恩恵を受けようというのはちょっと都合よすぎかなと。

最後に、フェアトレードで得た利益で村に学校を作ろうって話が出てきて、
みんなで賛成するって話になっているんだけど、あれが唯一の救いだったかな。

学校を作るのにはその利益だけでは足りないというんだけど、
そうしたら、自分の服を売ってでもお金を都合するよっていう人がいて、
その思いが広がっていけば、村は幸せになっていくわけですよね。

そんな思いで政治家やっている人間は何人いるのかなーって。

例えば、エチオピアの政治家たちは何やってんだって話でしょ。

農協の代表者は、あの映画ではいい人だったけど、
農協だって、農家のためと言いながら、非効率な組織になる可能性もあって、
それは日本を見てもらえばわかると思うんですけど。

とても長くなってしまいましたが、話は単純ではないのですよね。
そこを単純化してしまうと、まさに「真実」は見えてこないのかなと。

そんな自分だって、何が真実かはこの映画を見てもわかりませんでした。

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