「検事のふろしき」

昨日は、ポレポレ東中野で2本の短編映画を見てきたわけですが、
「裁判長のお弁当」の感想に引き続き、「検事のふろしき」の方を。

裁判官の仕事もわからないことが多いですが、
それよりも、検事の方がベールに包まれている印象が自分的には強くて、
この「検事のふろしき」の方がとても興味深かったです。

法曹三者なら、自分はどれに向いていると思うか、他の人に聞いたことがあって、
誰に答えてもらったかは忘れましたが、検事じゃないかって言われたんだよね。

正義感を振りかざしているように見えるんですよね、たぶん。

実際の検事さんはどんな理由で検事になったのかは気になるところで、
1人の方は、司法修習の時に取り調べで真実を引き出すことに魅力を感じたと、
もう1人は、家族が犯罪被害者で、犯罪の起こるメカニズムを知りたいと、
いずれもちょっと変わっているというかね。

ただ、いずれにせよ、犯罪者を処罰したい、被害者に寄り添いたい、
そういった感情を共通して持っているのかなと思いました。

裁判官と違って、どちらかといえば被害者寄りの立場に立っていて、
いかにして有罪を獲得するのか、それについて日々考えているわけですね。

それは誰のためなのか。

被害者のためなのか。社会全体のためなのか。自分のためなのか。

そのあたりがなんともはっきりしないというか、
まあ、はっきりしているんでしょうけど、
そこがぶれると誤った方向の向かってしまいそうで、なんとも危ういなと。

「おごらず、気負わず、そしてひるまず」という言葉が紹介されていましたが、
本当におごっていないのか、そこが問題なんじゃないかなと。

犯罪を犯した人に罪を償わせるのは必要なことだし、
被害者の思いが少しでも救われる結果となることも望ましいかもしれないけど、
だからといって、罪を犯していない人に罪をかぶせるなんてことは許されない。

気になったのは、模擬裁判に参加していた検事さんの言葉で、
模擬裁判の結果、証拠が不十分ということで判決は無罪になるのですが、
それに対して、こんなことを言っていたわけです。

 証拠が足りないとか、本人がやっていないと言い張った結果、
罪を犯した人が、結果的に罰を受けずに社会に出て行ってしまう、
そんなことが起こってしまうということを、
はたして、裁判員のみなさんは理解して評議してくれたのか。

もちろん、罪を犯した人が何の罰も受けないのはおかしなことですよ。
でも、だからといって、「やっただろう」で罰していいのでしょうか。

「疑わしきは罰せず」は、犯罪者を利するためのものではなくて、
冤罪を防ぐためのものですよね。

先ほどの検事さんの考えは明らかに間違っていると自分は思うし、
そんな検事がいる限りは、冤罪はなくなることはないだろうなと思うのです。

ただ、一方で、映画の中でも、
被告人に実刑が下されて、それに対して被害者側が安堵する、
そんな事件も紹介されるわけで、
そういうことが、検事に勘違いを生み出して、「おごり」につながるのかなと。

また、映画では、起訴されれば99%有罪判決が出る話も紹介されて、
ただ、事件のうちおよそ半数は不起訴となっているということで、
確実に有罪となるものしか起訴していないという運用だということですよね。

これは、無駄な裁判を行わないことで、容疑者の人権を守ることにつながるわけで、
ただ、本当にそういう観点でそう言った運用をしているのかな?って。

もし、検察官の評価が「有罪を獲得する」ということで決まるのであるなら、
無駄な裁判を起こさないのは、単なる自分のためなんじゃないかと。

大きな検察庁では、捜査・取り調べをして起訴するかどうかを決める検察官と、
実際の裁判に出廷して有罪を主張する裁判官に分かれているんですね。

となると、後半を担当する側からすれば、
有罪を取れるか微妙なものを無理やり起訴されても困るわけで、
そういった、あうんの呼吸があるのかなとも思ってしまいます。

さらに、国策捜査についても紹介があって、
東京地検特捜部にいた検事さんは、国策捜査はないと思う、と言っていましたが、
まあ、それはそう言うしかないですものね。

法務大臣の指揮権、造船疑獄、ロッキード事件などが紹介され、
政治と検察の動きは、何も関係がないとはとても思えない。

話を戻して、この映画は2009年に制作されたもので、
裁判員制度の導入を目前にしたものでした。

検察側は、いかに有罪を獲得するのか、打ち合わせや模擬裁判を繰り返し、
とてもしっかり対策をしているな、という印象を持ちました。

それが、裁判員制度での、判決の重罰化につながっているのかなと。

本来的には、証拠に基づいてのみ判決が導かれるべきですが、
被害者参加制度もあって、情に訴える手法も取られるわけですね。

それが冤罪にもつながる恐れはあるわけで、
裁判官、検察官、弁護士のバランスがしっかり保たれないと、
冤罪をなくすことはできないのだなと。

やっぱりそうなると重要なのは弁護士なんだけど、んーって感じ。
「死刑弁護人」でも、結局はバランサーでしかないのかなという印象が。

結局は、国家権力、政治権力の意のままなのでしょうか。
どこかの国と変わらないじゃないですか。