戦跡をめぐる

ということで、沖縄旅行記~戦跡編です。

今回の目的はこの戦跡めぐりだったわけなんだけど、
その割にはさっさか通り過ぎてしまった気もしましたね。

旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、平和祈念公園、アブチラガマ、
この順に訪れましたが、
これは単に空港から近い順に、西から東に行っただけなんだけど、
この順番はけっこうよかったんではないかと思いましたね。

平和祈念公園以外はどれも壕(ガマ)関連の施設ですよね。
やっぱり、沖縄戦を語るにはこのガマは欠かせないのでしょうね。

はじめに旧海軍司令部壕に行ったわけだけど、
あんま人もいなかったこともあって、
この壕の見学だけでもちょっとビビッてたとこがあったわけ。

後でアブチラガマに行くことを考えたら、
旧海軍司令部のほうは照明もあるし、道はしっかりしてるんだけど、
やっぱりただならない雰囲気があったんですよね。

アブチラガマは、死体安置所とか脳症患者とか、
そういう案内板が無造作に置かれていて、
足元はガタガタで道があるんだかないんだかだし、
そもそも真っ暗だから懐中電灯がないと周りはまったく見えない。

写真なんか撮る余裕もなくて、
ただただ早く出口に向かいたい、そんな気持ちでした。

不安と恐怖といろいろな気持ちを抑えるだけで精一杯でした。
汗だくになりながらひたすら歩きました。

あのなかでの生活は相当過酷なものだったでしょう。
過酷どころじゃない。行けばわかります。

さて、4つの場所を訪れたわけですが、
一番心が重くなったのはひめゆりの塔でした。

前に沖縄に行ったときもひめゆりの塔に行きましたが、
そのときは意味もよくわからず、お花をあげて帰ってきただけ。

当時は資料館もまだなかったと思うんだけど、
その資料館を見学している最中に何度も涙があふれてきました。

自分が教員という立場だということもあるのかもしれない。

しかも、今は女子校に勤めていて、
ひめゆり学徒の方々と自分の生徒がオーバーラップしてしまったんです。
(それにはいろいろと細かい話がありますが、それは書きません)

何もわからぬままに動員され、お国のためにと精一杯働き、助け合い、
しかし、突如として放り出された。

「責任」とはいったい何なのか。

東京に帰ってきてから、
同じような慰霊碑が近くにたくさんあるということがわかりました。

また沖縄に行く理由が見つかりました。
まだまだ不勉強です。

当時、小学生であったとしても、
ただ大きく深くあいた穴をのぞいてそれだけで帰っていった。

そんな自分を恥ずかしく思います。申し訳なく思います。