発信源になるということ

前回の続きです。

友人のライブを聴きに行って、
何か新しいものを作るってっことは素晴らしいことだなって。

俺は楽器弾けないし、絵はとてつもなく下手だし、
とてもとてもアーティストにはなれないわけで、
だからこそ、とてもうらやましいし、すごく尊敬できちゃうんです。

毎週日曜日に「ボクらの時代」って番組を見てるんだけど、
(さすがに早起きはできないので録画で)
この番組はゲスト3人が気ままに話すトーク番組なんですよ。

で、先週のゲストが福澤朗、八木亜希子、渡辺真理で、
フリーのアナウンサーの3人の回だったんですよ。

その番組の終盤で、
自分たちアナウンサーってのは発信源になっていない
まわりの情報を伝えているだけで自分では何も作っていない
聞いているばかりで聞かれる立場になっていない

そんな話が出てきたんですね。

なるほどなー、なんて思いながら聞いてたんだけど、
よくよく考えてみれば、教員ってのもそういう性格が強いかなって。

世の中こうなってるんだよって紹介するだけで、
こんなこと考えてた人がいたんだよって紹介するだけで、
自分が何かを生み出すってことを忘れてしまっていました。

教員にとって、発信源になるとはどういうことなのか。

1つはその教え方の工夫ということなのかもしれないですね。
独特の授業を展開している先生が紹介されたりするもんね。

もう5年目に入っていて、
教える内容を逐一おっていく必要はすでになくなっているのだから、
授業そのものの展開について考えなきゃいけないはずなのに、
ほとんど考えられていない自分を反省しました。

もう1つは研究なんだろうな。

教員は教えるだけではなく、
研究者としての性格も持っているはずなんです。

実際、俺が通っていた高校では、紀要が発行されてたりしたんだよね。

例えば、今年の夏に参議院議員選挙が行なわれたけど、
その結果を見て「非拘束名簿方式の意義はすでに失われているのでは」
との感覚を持ったんですよ。

それを、データ集めて分析をして、
論文にまとめたくなっちゃったんだけど、
大学院にいればささっとできちゃうことかもしれないけど、
結局、できずじまいなわけですよね。
(誰か俺のかわりにやってください)

時間もあるし、設備もあるし、
そんな環境に恵まれていたらまた違うのかもしれないんだけどね。

まあ、やる気出せば時間くらい作れるかな。
設備はどうにもならないけど。

はい、単なる言い訳です。

まあでも、将来的には、
そういう研究も出来るような学校に行きたいなとか思ってみたり。

今の学校は、あんまそういう環境にはない気がするので。

いずれにせよ、
何らかの形で発信源になることを意識していこうと思ったのでした。

発信源になるということ” に2件のコメントがあります

  1. どーも、コメントありがとう。
    いやー、ほんとにああいうイベントができるというのはうらやましいというか、すばらしいね。
    旅行記は面白そうだよねー。
    特に、沖縄はよく行っているみたいだから、かなり面白いところを知っているんじゃない?
    では、またよろしくお願いしますね。

  2. 自分たちのライブを見てくれて感じることがあったみたいで嬉しいです。
    実のところ音楽が出来る出来ないに関わらず、「自分にはいったい何ができるのか」「どういうことがしたいのか」という自分をじっくり見つめ直して出た結論がバンドであってああいう企画だったりします。
    自分の立ち位置や経験を見て、面白い、楽しいことを見つけることが自然とそういう表現活動に繋がるんじゃないかと個人的に思います。
    もし自分が音楽やっていなかったら旅行が好きなのでいろいろな場所に行った記録や面白い記事とかをたくさん書いていきたいです。
    それもあんまり人が行かないような変なスポットとか(笑)。
    何より現状に満足しないで好奇心を失わないで楽しいこと求めていきましょうー。
    つたない感想ですみません。あしからずー。

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