24時間テレビの裏で、NHK総合ではなくEテレが「聲の形」を放送すると。
昨年は「バリバラ」という障害者情報バラエティーを裏で放送したわけで、
これは今年も行われるということでしたが、さらにその前日の「聲の形」。
でも、そんな嫌味というか批判というか、そんなことを吹き飛ばすような、
そんな言葉がちんけで野暮であると言わんばかりの映画でしたね。
どうもすみません。
「聲の形」が上映されたのは2016年9月ということで、
その時にも気になってはいたんだけど、予告を見ただけで、ちょっと…と。
自分には受け止めきれないのではないかと思ったので、
映画館に見にいくことはありませんでした。
それでも今日はちょっと見てみようと思ったのですが、
うん、やっぱり、一人で見て正解だったかなと。
家で見ることのメリットは、周りを気にしなくてもいいということ。
障害に関する映画だということはわかるわけですが、
それ以外にもテーマがいろいろとあって、
言葉を選ばずに言えば「重たすぎる」ということになるだろうし、
考えさせられることが多すぎて、本当に参ってしまいます。
途中、いいキャラクターが登場してくれたので少しほっとできて、
でも、またなんとも言えない感情になる。
誰しもというのは言い過ぎなのかもしれないけど、
自分にも同じようなことが思い起こされて、
反省しては同じことを繰り返してしまうのですよね。
少しは大人になっていると信じたいんだけど、でもそうなのかなと。
それは時折、ふと思うのです。
だから、自分がこの世から消えればいいというところまでは思わないけど、
その場からいなくなった方がいいのではないかと思うことはあるわけだし、
でも、そこから逃げるのではなくて、違う角度から見ていく必要があるし、
自分にできることをただただやっていくということ。
つまり、正直に生きていくこと。素直に生きていくこと。
でも、周りを気にすることはあるし、自分に甘えてしまう。
自分が嫌になることもあるし、傲慢になることもある。
このブログの書くのに、リンクを貼ろうと映画のWEBページに行って、
石田君の姿が見えると、何とも言えない気持ちになる。
ともかく、がんばって生きていってほしいな、と思う。
そして、自分も正しく、素直に、正直に生きていこうと思う。
謝らなければいけない人はいっぱいだものな。
これを読んでくれている人の中にいっぱいいる。
読んでくれるはずもない人の中にもいっぱいいる。
でも、また忘れてしまうんだろうな。本当にダメだね。
2004年からブログを書いています。思ったことを気ままに書いていますが、旅に出るとその記事で埋まっていきます。旅行は日本国内が中心で、2022年6月に旅をした和歌山県をもって、47都道府県すべてを訪れたことになりました。好きなアーティストのライブにもちょいちょい行っています。
文系学部卒だけど理系脳なのか?という感じ。
このブログではできる限り政治に関する発言は控えようと思っていますがたまに漏れ出します。その辺のことはX(旧twitter)でがっつりつぶやいてます。