「大きな家」

今週は多忙かと思ったら、思ったよりも仕事が分散されて、
今日はお休みにできるようになったので、映画を見てきました。

渋谷で先行公開されている「大きな家」という映画です。
全国的には今月の20日から公開とのこと。

児童養護施設に暮らす子どもたちの様子を映し出した映画で、
児童養護施設といえば、今年は夏に芸人のやすこさんでも話題になりましたよね。

存在は知っているけどどういったところなのか詳しくは知らないということもあって、
今回、見に行ってみようと思ったのでした。

紹介されたところはずいぶんと大規模なところで、施設もしっかりしていて、
個室もあてがわれていて、むしろ大家族な人たちの方がプライバシーがなさそうだなって。

運営資金は国や都からの補助金ということでしたが、そこまで貧しいという様子もなく、
もっと貧しい生活を強いられている人たちもいるんだろうなーって。

ただ、存在しないのは「家族」で、近くに親も兄弟もいないわけですね。
そこが決定的に違って、まさに、決定的に違うんだなって。

7年とか8年とか施設にいるのに、まだ半分くらいしか生活に慣れていないとか、
ここは家ではなくて施設であるとか、職員さんは親ではなく「おばさん」であるとか、
あくまでもそこは「家」ではない「どこか」なのであるという子どもたちの意識。

自分の「家」として考えているのかなーとぼんやりと思っていたので、
そこが違うということは自分にとってショックでした。そんな簡単なものではないのだと。

紹介された子供たちはごく一部でしょうから、それが全てはないのでしょうけど、
両親が全くいなくなったわけではなく、たまに会っているような様子も見られたので、
そういうことが関係しているのかもしれないんですけど。

本当の「家」が実際にあるわけだから。ただ、そこには帰れない事情があるんでしょうけど。

18歳になったら、準備ができた人から自立をしていくんだそうで、
冒頭では、あまりうまくいっていない事例が簡単に紹介されたんですけど、
その自立がうまくいかないんじゃないかなーって思ってたら、やっぱりそのようで。

一般的には、徐々に自立していくし、多くは自分から出て行きますよね。
そして、自立してからも、帰るところ、すなわち「実家」がある人が多いですよね。

ただ、こちらはそうではない。何かあったら連絡して、とは言っていたけど、
「実家」というのは、何かあるときに限って帰るところではないですものね。
なんでもない時にも帰ることができる。でも、施設はそうではないですからね。

中にいるときはあまり施設のありがたみは感じなくて、外に出るとそれが実感できる、
これは学校も同じようなところがありますけど、役割が違いますからね。

ただただ「さびしい」だろうなーと思ってしまいました。

ただ、施設に通っている子でなくても同じような境遇にある子はいるだろうし、
今問題になっている「孤独」とは、こういう状況に近いのではないかと。

もちろん、うまく生活をしている子もいるとの紹介もありました。
だから、人それぞれだ、と言ってしまえばそれまでなんですけど。

映画のイントロダクションにはこう書いてありました。

この映画を観終わったあとは、
彼らだけでなく自分が歩んできた道のりをきっと肯定したくなる。
そして、あなたの”ふつう”が少しだけ広がるかもしれません。

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